【カノ嘘】劣等感と和解する物語【漫画】
おはこんばんにちは
台風って久しぶりに感じます。
ぐみのみです。
今回は、前回紹介した『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の
原作にあたる『カノジョは噓を愛しすぎてる』の漫画について
お話させていただこうと思います。
映画とは結末が異なる!?
映画では、秋が海外に行ってしまうニュアンスで締めくくられるのですが
漫画は異なります!!
そもそも、映画と漫画ではストーリーの大筋は似ていますが
秋と理子の出会いかたなど細部で異なっています。
映画と漫画は別作品だと思って観るぐらいがちょうどいいかもしれません。
肝心の結末
漫画版では、映画版の秋と同じように心也に劣等感を抱いて苦悩し続けます。
しかし、心也も秋と同じように秋のセンスに劣等感を感じていて、
CRUDE PLAY全員が悩みを抱えつつも活動している背景があります。
そこに、理子が率いるMUSH&Coが関わることによって
結成当初の大切な思いをメンバーが思い出し、CRUDE PLAYに秋が加わり
5人で活動を続けるという形の結末です。
AI(人工知能)社会における個性のあり方
CRUDE PLAY然り、MUSH&Coが直面する
売れるために演奏は自分たちではなく、プロが行うという壁があります。
秋はその売り方に嫌気がさし、音楽に背を向けます。
これは、人工知能が発展する今の社会で、誰もが直面する問題かと思います。
人口知能によって、どんな技術も代替ができるようになります。
将棋で人工知能が人に勝つように、経験則に基づく技術はビッグデータによる解析で
誰でもそのノウハウを習得し、代替することができます。
では、人は不要になり自分の価値なんてなくなるのでしょうか?
それは、違います。
MUSH&Coのソーちゃんが金言になることを言いました。
誰かが自分より上手いからって、その道を目指したらいけないんですか?
世界が広がると自分より上手いひとは存在するし、その差に打ちひしがれると思います
秋は心也の演奏技術に劣等感を
心也は秋の作曲技術に劣等感を
でも、上手い人がいるからって努力しない理由にはならないんですよね。
なぜなら、自分は代替の効かない存在だからです。
たしかに、技術が劣っているかもしれません。相手よりレベルが低いかもしれません。
しかし、それは一つの指標に過ぎず
人の個性も自分も複雑系なので代替できないのです。
作中では、みな劣等感を感じていますが
ソーちゃんは作詞家としての才能を見出したり
CRUDE PLAYのメンバーは演奏技術に自身の個性を上乗せし
それぞれが自分の活路を見出します。
このように、個性が人にはそれぞれ存在し
自分の個性を生かすところに人の必要があります。
誰しも劣等感を味わうときがあると思います。
立ち止まって投げ出す時もあると思います。
しかし、自分より上位の存在がいたっていいんです。
一点の視点から評価するのではなく、多面的に判断し
自分だけの個性を認め努力することが大切なのです。
そんな現代社会に必要な、劣等感を乗り越え報われる漫画でした。
ご拝読ありがとうございました。
劣等感を感じ、打ちひしがれたときに
ぜひ読んでみてください。
カノジョは嘘を愛しすぎてる 1 (Cheeseフラワーコミックス)
- 作者: 青木琴美
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/09/25
- メディア: コミック
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